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【自身のライフスタイルを生業に】金谷移住して22年。西野さんご夫妻の話【前編】

富津市金谷の移住者 西野夫妻

 

<西野 弘章(にしの ひろあき)>

1963年生まれ 千葉県柏市出身。

生まれ故郷近くを流れる利根川・手賀沼にはじまり、国内外の海・川・湖・沼・池・・・と、ホソのマブナから南海のジャイアント・トレバリーまでを釣り歩く「さすらいの五目釣り師」。これまで釣った魚は350種以上。また、生来の手作り好きが高じて、20代はログビルダー、塩作りなどの職も経験。
出版社で雑誌編集に携わった後、独立。それを機に家族とともに金谷へ移住する。釣りの楽しさ、DIY・田舎暮らし&自給自足、アウトドア、料理、保存食などの世界を紹介するライターおよび編集者として独立。自著執筆のほか、多くの雑誌・書籍の編集に携わる。TVCFなどのフィッシングアドバイザー、DIYアドバイザーも務める。著書に『世界一やさしい海釣り入門』、『小屋大全』などがある。西野さんのサイト『房総爆釣通信』

 

<西野 美和(にしの みわ)>

1967年生まれ 東京都小平市出身

大学卒業後、広告代理店に勤務。その後出版社に転職して夫・弘章と出会う。結婚を機に自身もフリーになって1996年に家族で金谷に移住。同年に結婚。2人の息子に恵まれ、現在は夫・弘章の手伝いで経理やデザインなど行う傍ら、自身でも薪ストーブやワイヤークラフトなどの本を出版している。

 

フリーターという言葉がまだそれほど浸透していなかった時代にフリーで生きることを決めた男性。塩作りにログビルダー、様々な職を経て、現在は自身の“好き”で生きている、移住歴22年の金谷移住のパイオニア的存在である西野さんご夫妻にお話しを伺ってきました。

 

塩作りにログビルダー。金谷移住までの経歴

富津市金谷の移住者 西野夫妻

 

ー 今日はよろしくお願いします。西野さんといえば移住の大先輩であり、自給自足に近い生き方で“好きなことで生きる”を実践されるロールモデル的存在ですが、西野さんご夫妻が移住してこられたのは何年前の事でしょうか?

 

お二人:1996年だからもう22年経つね。

 

ー 22年!!最近、金谷への移住者は増えていますが、お二人はパイオニア的存在ですね。では金谷に移住してくるまでの経歴を教えてきただけますか?

 

西野さん:俺は大学で農学部に行ったんだけど、卒業後は就活をしなかったんだよね。在学中、化学をやっていたんだけど自分の水に合わないと思っていた。「もっと実学に根差したことをやりたい」と思っていたんだ。具体的には衣・食・住だよね。

 

ー 衣・食・住ですか。

 

西野さん:うんそう。それで、「まずは食だ!!」と思って求人を探したんだよ。今でいうシェアハウスみたいなのがあって、料理人を募集していたから試しに応募してみたら受かってさ。そこで一緒に働いていたプロの料理人に料理のコツを教わった。その人は銀座にあるフランス料理店のシェフで、ある日彼と「食の原点は何だ」って話題になってさ(笑) 「それは塩だ!!」という話になってその後、塩作りの仕事もしたんだ。海水から作る自然塩は当時、唯一伊豆大島で作られていたんだけど、たまたまその塩作りの会社も求人を出していて、応募したら合格して1年間くらい働いた。その時に食の大切さを学んだね。

 

その後、「じゃあ次は住だ!」と思って、今度はログハウスを作った。山梨県のログハウスメーカーに弟子入りをして9か月間くらい学んだかな。そこでは家作りの技と我慢を覚えたね(笑)ログハウス作りって大変だったよ。体力も使うし、精神面でも鍛えられた。

 

ー 塩作りにログハウス。食と住を次々と試していかれたんですね。

 

西野さん:そう。いろいろやっているうちに「自分は面白いことをしているな」と思ったんだ。「どこかで自分がやっていることを発表したいな」と思った。でも当時はインターネットなんてないし、人に見てもらおうと思ったら本とか雑誌になるじゃん。でも俺は本の書き方なんてわからないし、「じゃあ手っ取り早く取材のやり方とか覚えられる所はどこだろう」と思っていたら、何気なく読んだ新聞に“新聞記者募集”と書いてあった。「これだ!」と思って応募したらまた合格して、新聞記者になった(笑)

しばらく新聞記者として働いて、取材の段取りなどを覚えたよ。

 

そしてまた時が経ち、「じゃあ次は雑誌だ!」と思ったんだ。当時“アウトドア”という雑誌が人気だったんだけど、たまたまその出版社で求人がでていて、応募したらまた受かった。そこで編集者として7年間勤務したんだよ。妻との出会いもその会社だった。

 

ー そこで奥様と出会われたんですね。奥様との馴れ初めも伺いたいところですが、それはまた今度に・・・(笑) 出版社ではどんなことをされていたんですか?

 

西野さん:その会社は通常の編集以外の業務にもたくさん関わるようなところでさ。普通は取材の段取り、イラスト、デザイン、撮影、ライティング等をそれぞれ違う人が担うんだけど、編集以外のそういった業務も勉強できる機会が多かったんだ。なかなか大変だったけれど、それが今の自分のベースにつながっているんだよね。

 

ー 今の西野さんのお仕事に通ずる原点になるんですね。では7年間務めた会社を退社されたのはなぜですか?

 

西野さん:「一通りマスターしたかな」と思ったし、もっと自分でダイレクトに楽しいことを伝えたかった。それには「自分でやるしかない」と思ったんだよね。それで二人そろって退社してフリーになったってわけ。その時は奥さんと結婚も決めていたし、それも大きな理由だね。

 

ー お二人同時にフリーになられるのって、奥様に不安はなかったですか?

 

美和さん:「なんとかなる」という気持ちの方が強かったかな。出版社だと終電まで仕事をしていることも多かったので、「この先、子育てしながら、ずっとこんな働き方は無理だ」と思っていたしね。

 

西野さん:会社にはいつでも社泊できるように、社員全員分の寝袋があった(笑) 当時の出版業界はそれが当たり前だったんだよ。

 

ー 寝袋ですか(笑)それは今で言うとかなりのブラックになりますね。

 

金谷移住までの経緯

富津市金谷の移住者 西野夫妻
料理修業時代の西野さん。「なんでもやってみたらいい」当時から続くこの生き方が今の暮らしを作った。

 

ー ではそこから金谷に移住してくるまでの経緯を教えていただけますか?

 

西野さん:仕事も辞めたし、釣り関連の仕事も多かったので情報を得やすい釣り場のそばに越そうと、内房を中心に物件を探していたんだ。でも全然見つからなくて途方に暮れていた時に、たまたま金谷に辿り着いたんだよね。今はもうないけど、当時あった不動産屋さんでたまたま掲載されていた賃貸物件を見に行って、二人とも「ここだ!」とピンときた。それで金谷に来たんだよ。

 

ー なるほど。金谷に住み始めたのは、たまたまだったんですね(笑)

 

西野さん:そうだね。とりあえず「なんでもやってみたらいい」と思っていたし、金谷もとりあえず住んでみたらもう22年もいるよ(笑)

 

移住後のお仕事

富津市金谷 西野ご夫妻書籍
西野ご夫妻の手掛けた書籍は、監修も含め20冊以上に及ぶ。

 

ー では金谷に来られてから、お仕事は何をされていたんですか?

 

西野さん:当時は、出版社で働いていた時の紹介などで、フリーで釣り雑誌のライターをやっていたんだけど、写真も今みたいにデジタルじゃないから、いちいち現像をしに大きな町に出ないといけなくて大変だった。打ち合わせのために都内にも週3日くらい出向いていたしね。でもそれが面倒だからいち早く、写真やデザインなどいろいろな面でデジタル化したんだよ。DTPを独学でやり始めた。

 

【DTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシング)とは、日本語で卓上出版を意味し、書籍新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をパーソナルコンピュータ上で行い、プリンターで出力を行うこと。引用:Wikipedia】

 

当時、ライターとしてDTPをやる人はいなかった。基本的にデザイン、撮影、書くなどの作業は全て細分化されているからね。まぁだから前職7年間の経験が生きたんだ。他にそんなことをやる人がいなかったこともあって仕事が沢山きた。

 

そしてその後、著者として初の釣り本を出版することができて、それが売れたんだ。そのヒットに続いてポンポンとオファーが来た。

 

ー なるほど、西野さんは釣りの他に小屋の本なども多く書かれていますが、出版された本の数はどれくらいなんですか?

 

西野さん:監修も入れたら20数冊くらいかな。ちなみに奥さんも書いてるよ。“薪ストーブ大全”とか“はじめてのワイヤークラフト”とか。

 

移住してからの暮らし

富津市金谷の移住者 西野夫妻
小屋づくりが、地域とのコミュニケーションツールになったという。

 

ー 西野さんご夫妻にとって金谷は縁もゆかりもない土地だったと思うんですが、その点で苦労されたことはないですか?

 

西野さん:そうだね。苦労をしたわけではないけれど、始めは知り合いがゼロだったよ。でも子供が生まれ、借りた家が手狭になって、作業する場所がなくなってきたから小屋を建て始めたんだ。それが近所の人の目を引いて、地元の仲間が徐々にできていった。小屋作りがコミュニケーションツールになって有難かったよ。

 

美和さん:苦労というのはあまりないかな。うちの場合、子どもを通してのつながりもできたし、私自身がもともと東京のマンモスタウンで育って近所付き合いもあまりなかったから、逆に近所との程よい距離感がよかったの。例えば「うちの子ども見ませんでした?」と聞いたら「どこどこにいたよ~」と言ってもらえる、地域で見守られているような空気感がありがたかった。

 

ー 金谷の町の人の適度な距離感は私も感じています。

 

美和さん:そうそう。確かに田舎だと「詮索がひどすぎて嫌だ」という話も聞くけど、この辺りはほどほどな距離感でちょうどいいかもね。

 

ー では、当初の貸家から今のこの場所に移動した経緯を教えていただけますか?

 

西野さん:前の貸家の土地に小屋を建てていたけど、人の土地だからどうしても情熱が湧かなくてさ。だから土地を探していたんだけど、なかなか見つからなかった。みんな空き家、土地などを持っていても自分の代で手放すのが嫌みたいで、なかなか買えなかったんだ。でも探し続けていたら良い土地が見つかってやっと買えたんだよ。今でこそ、家も小屋も建っていていろいろあるけど、当初は何もなくて12年かけてここまでにしたんだよ。

 

ー 田舎は空き家が多いのは事実ですが、実際に借りたり、買ったりするのが難しいという問題がありますよね。

 

金谷の魅力

富津市金谷の移住者 西野夫妻
自然に根差した暮らしの中で、健康的な子育てが出来るのも金谷の魅力だと語る。

 

ー では、思いのほか長く住むことになった金谷ですが、お二人が22年間見てきた町の魅力とはなんでしょうか?

 

美和さん:やっぱりお魚が美味しいということ。金谷は食の宝庫だと思う。自然も豊かだし、ほどほどの田舎感がいい。ここには海で生計を立てている人もいるし、農を生業にしている人もいる。サラリーマンもいるしバランスが取れているんだと思う。観光地でもあって人の出入りも多いし、他の田舎町のような閉塞感がないのが良いかな。

 

ー 金谷で子育てをしてよかったと思う点はありますか?

 

お二人:健康的に育っているというのが一番大きいかな。息子2人ともこの環境のおかげで健全な考え方、自然志向な生き方をしているよ。

 

今後の移住者にどう町と関わってほしいか

富津市金谷の移住者 西野夫妻

 

ー 今後、金谷にはどんどん移住者が増えてくると思います。西野さんご夫妻目線で、移住してくる人にどういう風に街に関わってほしいですか?

 

お二人:例えば、若い移住者の多くがまるも経由で金谷に来ていると思うけど、まるもの中だけで交流するんじゃなくて、地元の同世代の人と関わってほしいなって思う。地元の人も自分から話しかける人はあまりしないし、そこは移住者のみんなから祭りに参加するなどして、ぜひ関わっていってほしいな。まぁでも一番は結婚して暮らすことだな。(笑) それで子どもを作るのが一番地域に溶け込めると思うよ。(笑)

 

あとは、地元の作業が結構あるんだよ。道の草とりとか、地域の行事などに参加するとか、そういう事をしていけばいいんじゃないかな。でも金谷はいろいろなことが強制じゃないから、そこまで窮屈な縛りがないと思うよ。

【…後編に続く】

 

[取材・文] Rinco

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